その日、私は屋根の上にいた。
何やら人生を俯瞰したくなったのだ。
古いアパートの非常階段を上り、さらに梯子を登ると、小さな平らな屋根に出られる。大家には内緒の場所だった。
夕方になると街はゆっくりと色を変え、遠くのビルの窓が一枚ずつ光り始める。
ある日、向こうの屋根に彼女がいた。
白いサンドレスを着た女だった。
風に揺れる裾が夕暮れの光を受けて、まるで夏そのものが形を持ったように見えた。
「偶然降り立った星で、二人は出会う」
私が言うと、彼女は笑った。
「秘密よ」
僕たちは同じことを考えている。。
時々、私たちはそこで会った。
何をするわけでもない。
冷えた缶ジュースを飲みながら雲を見たり、遠くを走る電車の明かりを追ったりした。
名前さえ知らないまま、日は過ぎていく。
けれど不思議と、それで十分だった。
八月の終わり、少し涼しい風が吹いた夜。
彼女は街の灯りを見つめながら言った。
「夏って、いつも途中で終わるね」
そうなんだ。
夏だけではない。
出会いも、会話も、人生の多くのものが途中で終わる。
だからこそ美しいのかもしれない。
その日を最後に、彼女は来なくなった。
九月になり、十月になり、私は何度か屋根に上った。
けれどサンドレスの白い影を見ることはなかった。
今でも時々思い出す。
夕焼けに染まる街。
少し錆びた手すり。
風に揺れる髪。
彼女は最初から現実ではなく、季節が見せた一瞬の幻だったのかもしれない。
だが、あの夏の確かさは、ここにある。目に鼻に耳に。
屋根の上には夕暮れが訪れ、
私は時々、彼女の裾が、風に揺れる気配を探してしまう。
2014年8月10日UP















