銀河ビズ-WEBマガジン「きゅん」

kyun.biz
最新号11月10日配信予定
イラスト
GingaBiz
編集部より

夜の駅前は、いつも人であふれていた。
改札から吐き出される人波。
バスを待つ列。
信号が変わるたびに交差する足音。
ネオンの光が濡れた舗道に映り、街は絶えず動き続けている。
その雑踏の片隅に、小さなコインランドリーがあった。
私は月に何度か、そこへ洗濯物を持ってくる。
洗濯機が回り始めると、急に時間ができる。
けれど家へ帰るには短すぎる。
だから私は、窓際の椅子に座って人々を眺めるのだった。
ある晩、洗濯機の回る音を聞きながら外を見ると、向かいのビルの谷間に細い路地が見えた。
何度も来ているのに気づかなかった路地だった。
気になって歩いてみる。
人混みのざわめきはすぐ背後にあるのに、路地へ入ると不思議と静かだった。
その先に、小さな喫茶店があった。
看板もなく、窓から柔らかな灯りが漏れているだけ。
扉を開けると、数人の客が静かに過ごしていた。
本を読む人。
手帳に何かを書く人。
ただコーヒーを見つめている人。
誰も話さない。
けれど居心地の悪さはなかった。
店主が微笑んだ。
「初めてですか」
私はうなずいた。
「ここは何という店ですか」
店主は少し考えてから言った。
「名前はありません。でも常連さんは“雑踏の隠れ家”と呼んでいます」
私は窓際の席に座った。
窓の向こうには駅前のネオンが見える。
けれど騒がしさは遠い波音のようだった。
人は静かな場所を探して旅に出ることがある。
しかし本当に必要なのは、雑踏から逃げることではなく、そのすぐ隣に自分の居場所を見つけることなのかもしれない。
やがてランドリーの乾燥が終わる時間になった。
店を出て振り返ると、喫茶店の灯りは変わらずともっていた。
私はランドリーへ戻り、温かなシャツをたたみながら思った。
明日もまた街は騒がしいだろう。
それでも、この駅前には一つだけ秘密がある。
洗濯機の回る音と雑踏のざわめきのあいだに、
誰にも知られない小さな隠れ家があるという秘密だ。


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