夜の駅前は、いつも人であふれていた。
改札から吐き出される人波。
バスを待つ列。
信号が変わるたびに交差する足音。
ネオンの光が濡れた舗道に映り、街は絶えず動き続けている。
その雑踏の片隅に、小さなコインランドリーがあった。
私は月に何度か、そこへ洗濯物を持ってくる。
洗濯機が回り始めると、急に時間ができる。
けれど家へ帰るには短すぎる。
だから私は、窓際の椅子に座って人々を眺めるのだった。
ある晩、洗濯機の回る音を聞きながら外を見ると、向かいのビルの谷間に細い路地が見えた。
何度も来ているのに気づかなかった路地だった。
気になって歩いてみる。
人混みのざわめきはすぐ背後にあるのに、路地へ入ると不思議と静かだった。
その先に、小さな喫茶店があった。
看板もなく、窓から柔らかな灯りが漏れているだけ。
扉を開けると、数人の客が静かに過ごしていた。
本を読む人。
手帳に何かを書く人。
ただコーヒーを見つめている人。
誰も話さない。
けれど居心地の悪さはなかった。
店主が微笑んだ。
「初めてですか」
私はうなずいた。
「ここは何という店ですか」
店主は少し考えてから言った。
「名前はありません。でも常連さんは“雑踏の隠れ家”と呼んでいます」
私は窓際の席に座った。
窓の向こうには駅前のネオンが見える。
けれど騒がしさは遠い波音のようだった。
人は静かな場所を探して旅に出ることがある。
しかし本当に必要なのは、雑踏から逃げることではなく、そのすぐ隣に自分の居場所を見つけることなのかもしれない。
やがてランドリーの乾燥が終わる時間になった。
店を出て振り返ると、喫茶店の灯りは変わらずともっていた。
私はランドリーへ戻り、温かなシャツをたたみながら思った。
明日もまた街は騒がしいだろう。
それでも、この駅前には一つだけ秘密がある。
洗濯機の回る音と雑踏のざわめきのあいだに、
誰にも知られない小さな隠れ家があるという秘密だ。
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風車と怪人キリギリスの話 |
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